2009年11月18日

「大丈夫であるように〜Cocco 終らない旅〜」

ドキュメント映画がDVD化された。
私は映画のことを知らなかったので、今回初めて見たわけだが…。

パピルスを先に読んでしまった私としては、長い髪のCoccoが懐かしい気がした。
そして、腕に目が行ってしまう。

傷が少ない。
あのきらきらツアーの後、自分に「生きろ」と言い聞かせて身体に文字を刻んだのが明白だった。


「大丈夫か大丈夫じゃないかは自分で決めること」
とCoccoが言っている。
まさにそうだろうと思う。
でも、そう考えている時点で多くの場合は「大丈夫じゃない」ことのほうが多い。
彼女も然り。

無力な自分を感じる瞬間は、人それぞれ誰にでもある。
でも、それでも生きていかなければならないし、やらなければ(或いはやり続けなければ)いけないこともある。
Coccoにとってはそれが歌うことだというが、先のパピルスでは、歌は排泄行為と同じだと言っている。

排泄行為と同じくらい自然なもので、意志で止められるものではない、ということなのだろうか?(そうは聞こえなかったが)

この世界の何を背負ってしまっているのだろう。

沖縄の米軍問題?
ジュゴンのいる海?
六ヶ所村の原燃?
いずれにしても一人で背負う問題ではないし、背負いきれるものでもない。

Coccoはどこに行きたいのだろう?
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2009年08月31日

papyrus vol.26(2009年10月)Cocco 愛と罪悪感の行方

久しぶりにCoccoを見つけた。
が、表紙を見てちょっと驚いた。
ノースリーブを着ていたから。

いつも長袖を着ているイメージが強かったので、腕を出して傷をさらけ出しているCoccoに驚いたのだ。

傷を見せても平気なほど強くなれたのかな、と思って中身を読んだら全然違った。

今まで何度かパピルスに登場していたのも知らなかったし、ロンドンにいたのも知らなかった。もちろんドキュメンタリー映画のことも。
ニュース23のゴミゼロ大作戦で、市職員に意見していたCoccoとは別人らしきCoccoがいた。

古い傷の中にまだまだ新しい傷の数々。
LIVE LIVE AND LIVE
いくつかの☆
吐きダコのような手の甲の跡
右利きらしく、左手の方が痛めつけられている。

この様子を見ると、きっと骨盤の骨なんかガッツリと見えているんだろうと思う。

痛々しい。
30歳を過ぎて、子供もいて、未だなお泣く術を知らない子供のように躯に痛みを刻んでいる…。
自分のことで手一杯なのが対談からも感じられた。
彼女の子供はきっと誰かがちゃんと育てているんだろうから、そのことについて考えるのはやめておこう。

Coccoは誰を救いたいのか?
何をすれば満たされるのか?
彼女が今立っている場所は、心の深淵なのか、或いは闇の中か?


「愛してるって言うしかない」
と以前から言っていたCocco。
「自分は筒だから」
「飾って見るナイフでいい」
なんともなげやりな言葉の数々に、インタビュー記事にも、対談記事にも、何の感想も持てなかった。
読者にいったい、どんなCocco像を見せようという企画なんだろう。


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2009年05月01日

選択すること

最近、また子供の虐待のニュースをよく目にする。

9歳の娘を虐待死させておいて遺体を遺棄し、いけしゃあしゃあと捜索願を出した大阪の母親。
ベビーバスに熱湯を入れて、娘をその中に立たせた足立区の19歳の母親。
虐待死した長男の遺体を冷蔵庫に隠しておいた兵庫の母親。

内縁の夫や、夫が子供に暴力をふるうのを止められない。
捨てられるのがこわいから!?
自分が捨てられることの方が、子供が苦しむ姿を見るよりこわいって…恐ろしい。
親じゃない。
人じゃない。
動物的なものを感じてしまう。

虐待するために産む女性はいない。
が、虐待の危険性・可能性を考えずに産む女性はいる。
子供は出来るものではない。
出来たら産むものでもない。
もちろん、命の発生については十分神秘的だし、誰でも確実に妊娠するものではないから「授かりもの」というのもわかる。
でもやはり、子供はつくるもの。
つくる、という選択をするもの。

交際相手、結婚相手の選択。
妊娠・出産の選択。
こうやって人生の岐路で選択を繰り返しているはずなのに、子供を見捨てることも選択している。

逆に、なぜ様々な苦しい思いをして産んだ子の命を守る選択ができないのか…。

子供と一緒に親として育っていく?
もちろん結構。
誰も始めから完璧な一人前の親になれないのはわかっている。

子供は思ったように育たない?
それも結構。
所詮、育てたようにしか育たないんだから。

子供は親を選べない。
某スピリチェアルカウンセラーが
「虐待される子も魂の修行のために親を選んで産まれてきている」
と言っていたが、よくもまぁそんなコトが言えたものだ、と思う。

繰り返し書くが、子供は親を選べない。
なぜ、この親の元に産まれたのか?
愛されない苦しい中で何度も繰り返し思い、それでも親だから憎み切ることもできず、無力な自分に涙する…そんな人生があることを知れば、子供を産まない人生の選択は、ある意味潔い。

私は…自分と家族の人生に責任を持つ選択をしようと思う。
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2006年08月19日

子どもに美容整形を受けさせる親

16日のニュース番組に、やっぱり気持ちの整理がつかないので書いてみる。

8歳の男の子に、親が二重まぶたの整形手術を受けさせるのだ。
「クラスで人気者になれるよ」と言って説得したのだという。

母親は自分がしたくてもできなかった二重の手術を子どもにさせられるのが嬉しいようだった。
父親も「子どもの頃に体験させてあげたいな、と思って」なんて言っていた。

子どもに多くの体験をさせるのはとても大事なこと。
でも今回の美容整形はその「体験」の中に入れていいものなの?
一重のお母さんそっくりの目は、まさしく親子である証拠。
そのそっくりさ加減が母親のコンプレックスに火をつけたのだろう。
自分に似ている息子を(自分の目に似た息子の目を!)母親は受け入れられなかったわけだ。
息子はこの先成長して、母親のエゴに気づいたらどう感じるのだろうか。
糸を抜く手術を受けるか?
それとも全然気にしない?
案外、感謝するかも!?

自分で判断できる年齢になってから美容整形を受けるのはいい。
自分を否定しようが、親を否定しようが、美容整形で気持ちが変わって幸せになれるのだったら本人のためにいいことだろう。
あくまで本人。
それを年端もいかない子どもを連れてきて、親が受けさせるというこの醜さ。

この男の子にはお姉ちゃんがいるが、お姉ちゃんの方が
「私がやりたかった」
と言っている。
みんなそっくりな目なのに、みんなしてそれを否定している。
母親は息子に手術を受けさせたことで、娘にも自分の目を否定されていることに気づいていないんだね。

子どもの美容整形は増えているというが、芸能界にいる子が整形をするのは別にいい。今回のケースや、離婚した母親が「別れた夫に似てくる子どもがいや」と手術させるケースは本当におぞましい。
子どもの人格を無視しすぎ。
私が過敏に感じすぎなのかもしれないけれど。
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2006年08月18日

ダーク・ウォーター



「仄暗い水の底から」ハリウッド・リメイク。
ダリア(ジェニファー・コネリー)は夫と離婚調停中で娘セシリア(アリエル・ゲイド)の親権を争っている。
ルーズベルト島に引っ越して古い高層住宅に住むことになるのだが…。

「仄暗い〜」は団地ゆえの不気味さを全面に出した作品だったけれど、アメリカにもこんな不気味な高層住宅あるの!?というぐらい日本的なジメッとしたカビ臭い暗さを壊さずに表現している。

設定は日本版とほぼ同じ。
ホラーとしてはさほど怖くない。
セシリア役のアリエル・ゲイドの演技が抜群で驚いた。
無邪気な子どもの顔から、大人びた表情を見せて父親の前を歩く姿へ変わる瞬間がすごい。

ストーリーの途中で弁護士の口から明らかにされることだが、ダリアは見事なAC。常に頭痛を抱えているものの、娘はきちんと育てている。
ただ、幼かった頃の心の傷を癒し切れていないので、10Fに住んでいたナターシャの境遇と自分を重ねてしまった。
母親に口汚く罵られている自分を、かわいそうなナターシャの所為とはいえ再び体験してしまって大きなショックを受ける。以後、睡眠薬を服用したり、悪夢を見たり、精神的にどんどん追い詰めらられていくのだが、最終的には「ナターシャのママになる」ことを選んでしまう。
ナターシャと出会わなければ、このアパートに住まなければ、ダリアは自らの過去と対面することもなかっただろう。
逆に、過去を清算し切っていたとしたら…この映画を見ながらそんなことまで考えてしまった。
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2006年08月06日

同窓会

高校卒業以来、初めての同窓会があった。
いつ卒業したのかって?もう10年以上も前。
そんなに長い間同窓会をしないクラスっていったい…!?
そんなクラスだったんです(笑)

ワタシのいたクラス42人のうち、出席者は22人。
うち63%は既婚。
既婚のうち85%は子供を産んでいた!!

少子化ってウソでしょ?というくらいの出産率。
子供2人という子も4人いたし。

それにしても、みんな変わっていない。
結婚しても、出産しても、高校時代と全然変わっていない。
良くも悪くも。
つくづく思った。みんなフツーに結婚してフツーに子供産むんだな、と。
特に何も心配することなくて、シアワセなのね、みんな。
あ〜コワイ!

さらに、専業主婦の多いことにもびっくり。
正社員で働いているのは私を入れて6人。
こんな事実って現実離れっぽくて不思議。
バブリーな時代じゃないのにね。ダンナの稼ぎいいんだね。

いいのいいの、ワタシは仕事に生きるから。
自分で稼いで自分のために使う、これ人生の醍醐味。
自分の人生を生きてる、という実感でしょ。
と言いつつもいちいちブログに書いたりしてるあたり、いろいろ気にしてるの見え見えかしら。
posted by あきひ at 23:33| Comment(1) | TrackBack(0) | AC的話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月07日

今の子供って…というか、今の親(大人)って…

朝から歯医者。
珍しく待合室に人が多かった。
小学生の姉・2歳くらいの弟と母親、中年女性、老齢の女性、そして私の6人。
椅子に座った途端、2歳くらいの男児がタタッとやってきて、不機嫌そうな顔で私の膝をパチンと叩いた
なんじゃこのガキ!と思ったが、その状況がおかしくて笑ってしまった。
母親が
「どうもすみません」
と頭を下げてから、息子に対して
「なーにやってんの、このバカ!」と
頭を叩いた。
普段なら人の子でも私が叱っているところだけど、母親が叩いたので何も言わないことにした。
私の隣に座っていた老女が
「元気がよくって、ねえ?」
と、取り成そうとでもいうように私に言ってきたので、そーじゃないだろぉ、と無視。
そして、母親からもう一言何かあるかと思ったのだが、何もなかったので
「あー、躾が大変だ」
と独り言を言ってやった。
親子は何事もなかったかのように帰っていった。

歯医者が終わった後、昼食を買うために向かいのパン屋に入った。
ここには小学生の姉弟と母親がいた。
近隣の小学校は土曜に授業公開をしたようで、今日月曜が振り替え休日になっているらしい。
姉弟でどのパンが食べたいかペチャクチャしゃべっていたが、姉の方がゴホゴホと咳をし始めた。しかもゼロゼロ痰が絡むような湿った咳。
パンが露出してるのにー!!
口を押さえようともせずに咳込んでいる。
なのに母親は何も言わない。
急に汚く思えたのでラップや袋で包んであるパンしか買わなかった。本当はおいしいパン屋なのに。


人に危害を加えたことを、幼児のしたことと思って軽く考えているような母親。
そんな幼児を、元気がよくてかわいいみたいに平気で言える老女(自分が叩かれてもそう言えるなら立派なもんだ)。
咳が出る子供にマスクをさせたり、店の外で待たせたりせず、まったく気に留めていない母親。
あ〜あ。
posted by あきひ at 16:12| Comment(1) | TrackBack(1) | AC的話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月03日

チカラある者に相対すると

どうも、権力者に対してヒクツになってしまう性格だけは、脱AC宣言をしても改善されないようだ。
自分に直接影響を及ぼしたり、評価したりする権力者、たとえば管理職。
こういう人たちに私は必要以上にビビッてしまう。
世の中そんなに誰もかれも私を傷つける人ばかりじゃないとわかっているのに。
でも今日は、トップの言葉に傷つき、ナンバー2の言葉にもがっかりした。

トップとは滅多に話す機会がないので、人間的なところはわからない。
でもキレ者だというのはよくわかる。
今日は私のために時間を割いてくれたことには感謝する。
でもさ、管理職なんだからもっと励ましてくれたっていいじゃん?持論を嬉しそうに語るのもいいけど部下を育てるのも仕事じゃん?
あとで考えればこうやって冷静になれるのに、その場でちょっと冷たい言葉を言われるとかなりガッカリしてしまう。
ナンバーツーは、性格は悪くないんだろうけどきっと何も考えてないんだろうな、と思える言動ばかり。それで管理職なんだからシアワセだよねぇ。

暑い上にドサッと重いものを投げつけられたような気分になったことで、疲労気味…。
posted by あきひ at 18:01| Comment(0) | TrackBack(0) | AC的話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月21日

銀行にて

2歳くらいの男の子を連れた、相当若い母親が入ってきた。
ヒモ1本のホルターネックの黒いキャミソールに、太股までスリットの入ったデニムのタイトスカート。金色のミュールで髪の毛も金色。派手な割に化粧っけがないのがアンバランスだなぁ、なんて思っていた。
「本日のご用件は?」
とご用伺いに行った行員さんに、彼女は
「名字が変わったんで、口座の名義を変更したいんだけど」
と答えた。

名字が変わった?
入籍か?離婚か?
子連れ入籍でも離婚でもまぁいいけどさ。

行員さんに
「免許証と住民票などはお持ちですか」
と聞かれて、あからさまに表情を変えた彼女。
「は?住民票?めんどくせー」
それまで耳だけ傾けていた彼女の声に、思わず顔を見てしまった。
名義を変えるなら証明する書類を持参するのは当然だと思うが、何の確認もせずに何の書類も持たずに来たらしい。
自分の母親よりも年配であろう行員さんに、目の前で「めんどくせー」と言い放つその態度。
さらには
「ふざけんなよババァ、すっげームカつく」
と捨て台詞を残して窓口を離れた。
カッカしている母親に驚いて不安になった子どもが泣き出した。
大声で泣く子どもの声が行内に響く。

あーあ、あんな子どもが子ども生んで…。
子ども生んだなら少しはオトナになりなさいよ、と言ってやりたい状況だった。
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2005年06月19日

ACにとっての父の日とか母の日とか…

今日は父の日だった。
2週間も前から新聞の折り込みチラシは「父の日」特集になっていたし、今朝のテレビ番組でも巷の父の日イベントを取り上げていた。
が、私は何もしない。
敢えて。
もちろん母の日も同じく。
いつからしなくなったか?
それはやっぱりACを自覚した後からだと思う。

以前、つきあおうかと思った男性に
「僕は毎年母の日に、ブランド物のバッグを贈っている」
と自慢をされたことがあった。
「秋姫さんはどうしてるの?」
と聞かれて
「何もしないけど」
と答えたら、ものすごく驚かれて、責められた。
どうして何もしないのか、社会人なのに親に感謝しないのか、云々。
かえってこちらが驚いた。
アンタにそんなこと言われる筋合いないし、いい年してベタベタのマザコンで気持ち悪い。
以後、その男性と2度と会うことはなかった。

そんなウザイ記憶も相俟って、母の日やら父の日やら、親孝行系イベントの日には苦いものを感じる。
今でこそ脱ACしたと思っているが、時々にしろ、何でこの親のもとに生まれたかなぁと思うこともある日常、感謝の気持ちをモノで表す日なんて鬱陶しい。一緒に住んでやって、しょっちゅう晩ご飯作ってあげて、その他家事だって担当してるんだから十分でしょ。
posted by あきひ at 23:05| Comment(3) | TrackBack(1) | AC的話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月18日

ドラマ「瑠璃の島」最終回

沖縄の鳩間島を舞台にしたドラマが最終回だった。
母親のネグレクトで養護施設に預けられた小学6年生の瑠璃が、東京から鳩間島(ドラマ内では鳩海島)に里子として引き取られてからの話なのだが、瑠璃の背負っている境遇の悲しさと、島の明るい美しさがとてもアンバランスで惹かれて見ていた。

施設に入れられただけでも傷ついていたのに、引き取られた鳩海島にやってきた母親に「再婚するから親子終わり!」と告げられ、捨てられた瑠璃。かなり大人びて冷めており問題児だったが、島で暮らすうちに頑なな心がほどけてくる。島の生活に溶け込んだ頃、突然また母親がやってきて「一緒に暮らそう」と瑠璃の心をかき乱すのだが、今度は瑠璃が母親を切った。島の子どもとして生きる道を選んだ。
母親に捨てられた翌日、登校拒否をした瑠璃を「人には休みが必要な時もある」とさりげなくかばう里親や、かまどおばぁの「島には何もないからすべてが宝物」という言葉にかいま見える、まっとうな大人の優しさが救いだった。

沖縄本島の一部にしか行っていないので、今度は離島にも行ってみたい。
せせこましい都会で長らく生きていると、何もない土地でのんびりしてみたいという気分になる。リゾート地ではない自然の中で、少しの間。
posted by あきひ at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | AC的話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月24日

子どもと私

先日、皇太子殿下が誕生日の記者会見である詩を紹介された。
「子ども」という詩で、評論社から出版されている「あなた自身の社会」(←評論社サイト)という本(川上邦夫訳)に収録されている。
この詩の出典はアメリカの教育学者ドロシー・ロー・ノルトで、PHP文庫から「子どもが育つ魔法の言葉」(石井千春・武者小路実明 訳)という本が出ている。

新聞にも掲載された川上邦夫訳はズキンと胸が痛くなる。
批判ばかりされた子どもは〜、殴られて大きくなった子どもは〜、笑いものにされて育った子どもは〜、皮肉にさらされた子どもは〜…ここまでの文章に一言「そしてACとして苦しむ」をつけ加えたら完璧に私たち(AC)のことを読んだ詩になる。
しかし、今日入手した「子どもが育つ魔法の言葉for the Heart」は前述の「子どもが育つ魔法の言葉」をまとめて読みやすくしたもののようだ。当たりのやわらかい文章なので、今まさに心が疲れ切っている人でも読めると思う。
同じようなタイトルで「for the Family」や「for the Mother and Father」「10代の子どもが育つ〜」など出版されているのでどれか読んでみるのもおすすめ。

昨日、お昼を食べるのにファミレスへ入った。
私の席の前には離乳食を食べる幼児を連れた、私と同年代とおぼしきカップルがいた。
食事中、子どもが時々大きな声を出すのが気になったがそれはガマンの範囲。
それよりもこのカップルの雰囲気のほうがもっと気になった。
暗い。
かといって喧嘩をしている様子ではない。
2人とも子どもに対しての声掛けが少ないのだ。
子どもの母親がトイレに立ったのだが、子どもが母親を探して店内をキョロキョロ見回しているのに連れの男性はボーっとあらぬ方向を向いている。子どもが声を上げても無視。子どもは明らかにこの男性を呼んでいるのに無視し続けた。
パッと見は親子のような3人だが、この男性は父親ではないようだ。
この光景に私は気持ち悪くなってしまった。
先日、テレビで「自分は子どもを虐待しているかもしれない」と言っていた若い母親を定点カメラで撮った番組があったが、それを見たときのような(この母親は1日中子どもを放っておいてさらに「うるさいんだよ」と怒鳴っていた)、吐きたいのか泣きたいのかわからない気持ちになってしまった。

「子どもが育つ魔法の言葉」を買ってきたのに気づいた父が、私に
「お前、子ども育てるのか?」
と冗談で聞いた。私は
「かわいそうだった子どもの頃の私を育て直すの」
と皮肉で言ったがもちろん通じない。皮肉だということはわかったようだが、本当の意味などわかるはずもない。
母はこの本をパラパラと見て
「何歳ぐらいまでこう言って育てたらいいんだろうね」
と言った。
呆れた。
何歳ってことないでしょう。子どもを育てる言葉は、イコール、人との関わり方を示した言葉。
相手が自分の子どもであれ、赤の他人であれ、同じスタンスでいることが自分が自分であることの証じゃないの?
逆に、同じスタンスでいられることがオトナだってことじゃないの?
そう思い、本当に私は親を乗り越えられたんだなぁと実感。
もう親の無遠慮で無神経な言葉に傷ついたりはしない。
私に人間の子どもを育てる機会があるかどうかはわからないが、自分が親になっても大丈夫だとも思った。
posted by あきひ at 23:31| Comment(3) | TrackBack(4) | AC的話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月31日

今日は休みだった

仕事が休みだった。
土・日・月と3連休になったわけだが、今日の休みが一番よかった。
親がいない中、私一人だけ休みというのがとても幸せ。
朝からお風呂に入って、洗濯物を干して、買い物に出かけ、DVDを見て、夕食を作り…そこまで1人で過ごすとホント満足。
バッグを買いに行って、欲しかったバッグがちょっとした不良品だったので値引きしてもらえたし、月曜のスターバックスは空いていたし、パトリシア・コーンウェルの新刊を見つけたし。

今どんどん気温が下がっている。
明日はとても寒いのだそうだ。
明日は母が仕事休みで家にいる。
幸い、私は出勤だ。
母でも父でも、誰かが家にいるときに私が休みだと途端に私にしなだれかかってくる。
私のペースで物事をやらせてもらえない。
掃除機をかけることだったり、洗濯物を干すことだったり、普段やるような家事でさえ自分ひとりのときにやるのと誰かがいる中でやるのとで、こうも気持ちが違うものかと思う。
好きにテレビを見たり本を読んだり居眠りをしたり、そんな自由が、誰かがいるだけで奪われる。
こう感じている時点で本当は一緒には暮らせないのだけれど、自活する余裕がないので、普段のちょっとした自由を満喫できる平日の休み。
posted by あきひ at 23:49| Comment(1) | TrackBack(0) | AC的話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

とてもいやな夢

土曜の明け方見た夢が、生々しくて、意味深で、とてもいやな夢だった。
気持ちを落ち着けてから考えを整理したかったので少々時間をおき、ひとつ映画の話題でも書いてから、と本日2コ目の投稿。

私はお風呂場にいる。掃除をしていたようだ。
どこかで子供がずっと泣いている。
「お母さん、お母さん」
と母親を呼んで泣いている。
うるさくて仕方ないが、子供は泣くものだからガマンしなければと思って聞こえないフリをしている。
そのうち子供が泣きながら風呂場まで来る。
湯船にはお湯がいっぱいに張ってある。
子供はまだ泣いているし、周りのことが目に入っていないようなので私は湯船に蓋をした。
案の定、その子供は湯船の蓋の上に乗ってまで「お母さん、お母さん」と泣いている。
あまりにうるさいので私は内心、湯船に落ちちゃえばいいのにと思う。
すると突然、蓋が真ん中だけ消えて子供がお湯に落ちた。
あっ、と慌ててお湯に手を入れてすくい上げると、それは子供ではなくてタオルに変わっていた。
子供はどこにもいなかった。

泣いていた子供は男か女かもわからない。
本当にうるさいほど耳に残っている母親を呼ぶ鳴き声。
お湯に手を入れたときの温かさがリアルだった。
あの子供は私自身かと考えたがそうではない。
私は母を求めてなんかいないし(もう求める理由もない!)、私は私として夢に登場している。
子供の泣き声が気に障るのは確かだ。
スーパーなどで大声を出したりわがまま言ったりして泣いている幼児などはサイアクだ。
夢の中で湯船からすくいあげた行動は、きっと私の本心ではないのだろう。その証拠に子供はタオルに変わった。
偽善か…。
そんな意味でもほんとうに嫌な夢。
posted by あきひ at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | AC的話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月17日

かなりブルーだった金曜

先週の金曜は珍しくブルーだった。
仕事したくない、とまで思うブルー。
理由はきっと母の機嫌。

木曜に犬が母のベッドの上で粗相をしてしまった。朝の粗相を夜まで気づかなかった。まぁ、母の寝室に入る用もないので気づくわけないのだが。
それで犬も私もひとしきり怒られた。
掛け布団は被害がなかったのだが、ベッドのマットに大きな染みが!
洗えないものを汚してしまったことで散々責められた。弁償してもらう、まで言われた(苦笑)
土日は天気が崩れるという予報だったから、金曜に仕事休んでベッドマットの掃除しようかと真剣に考えてしまった。

結局、仕事に行って仕事しているうちにブルーが解消されたのだが、なんともいえない嫌な気分の金曜だった。
posted by あきひ at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | AC的話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする