2009年05月01日

選択すること

最近、また子供の虐待のニュースをよく目にする。

9歳の娘を虐待死させておいて遺体を遺棄し、いけしゃあしゃあと捜索願を出した大阪の母親。
ベビーバスに熱湯を入れて、娘をその中に立たせた足立区の19歳の母親。
虐待死した長男の遺体を冷蔵庫に隠しておいた兵庫の母親。

内縁の夫や、夫が子供に暴力をふるうのを止められない。
捨てられるのがこわいから!?
自分が捨てられることの方が、子供が苦しむ姿を見るよりこわいって…恐ろしい。
親じゃない。
人じゃない。
動物的なものを感じてしまう。

虐待するために産む女性はいない。
が、虐待の危険性・可能性を考えずに産む女性はいる。
子供は出来るものではない。
出来たら産むものでもない。
もちろん、命の発生については十分神秘的だし、誰でも確実に妊娠するものではないから「授かりもの」というのもわかる。
でもやはり、子供はつくるもの。
つくる、という選択をするもの。

交際相手、結婚相手の選択。
妊娠・出産の選択。
こうやって人生の岐路で選択を繰り返しているはずなのに、子供を見捨てることも選択している。

逆に、なぜ様々な苦しい思いをして産んだ子の命を守る選択ができないのか…。

子供と一緒に親として育っていく?
もちろん結構。
誰も始めから完璧な一人前の親になれないのはわかっている。

子供は思ったように育たない?
それも結構。
所詮、育てたようにしか育たないんだから。

子供は親を選べない。
某スピリチェアルカウンセラーが
「虐待される子も魂の修行のために親を選んで産まれてきている」
と言っていたが、よくもまぁそんなコトが言えたものだ、と思う。

繰り返し書くが、子供は親を選べない。
なぜ、この親の元に産まれたのか?
愛されない苦しい中で何度も繰り返し思い、それでも親だから憎み切ることもできず、無力な自分に涙する…そんな人生があることを知れば、子供を産まない人生の選択は、ある意味潔い。

私は…自分と家族の人生に責任を持つ選択をしようと思う。
posted by あきひ at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | AC的話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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